社会人として鍛えてくれた人

私が新卒で入社した会社で色んな意味で可愛がってくれた先輩が亡くなった。

人生を”さぁー”っと走り抜けていった。

当時は、その人と仕事することが辛くて辛くて仕方なかった。
そんな辛いことが、今では良い思い出になり、今の自分の仕事に対する姿勢・基礎を作ってくれたと
心より感謝している。

人生で起きる出来事は何ひとつ無駄がないんだなと思う。
辛いことや苦しいことは、これからの自分の人生にとって必要なことなんだと本当に思う。

毎日、苦しいことが形を変えてやってくるけど、
それは、気持ちとしては織田裕二(山本高広)風に「キターッ!」という感じで
喜べるようになってきた。

先輩は、死の直前まで仕事だった。人生=仕事。
そんな人からみたら、当時の私の行動はもどかしかったのだろうと
想像できるようになった。
それもこれも、仕事で自分を表現するのが生きがいだった先輩から教わった様な気がする。

人生の大半は仕事をしている。ならば仕事を楽しみたい。

「辛いことがあれば、それは必ず将来の糧になる。」
これを実感できたら、どんな辛い状況でも楽しみに思えるはず。

私の性格は順風満帆だと不安になり、紆余曲折、波乱万丈(そこまで行ったことはない)位が
丁度よいと思っている(思うようにしている)。

人間は死に向って確実に生きている。
人が死ぬ度に、亡くなった人から勇気を頂く。
生きている事の、ありがたさを頂く。

どうせ死ぬなら、泥臭くがむしゃらに生きたい。
がむしゃらに、限界まで動かないと見えないことがあると思っている。
限界の先の世界を見るために、生きていると思う。

我社のメンバーにも、その先の世界を見せたい。一緒に見たい。

「”さぁー”、そろそろ行くよ。まだ見ぬ先の世界へ」

「”さぁー”」(みんなが引いてしまう音にならないように。


<思い出話をひとつ>
私が26歳の時、ある新規プロジェクトをその先輩とやっていたとき、毎晩終電近くまで仕事して
土日もなかった。
ある日曜の晩、23時頃帰ろうとすると、その人が出社してきて一言「もう帰るのか?」
「ミーティングしよう!」

時計をちらちら見ながらミーティングして、そそくさと終わらせようとすると。

「お前、やる気があるやつだと思っていたけど、やる気なくなってきたな。そんなんじゃ、
みんなをひっぱてけねーぞ」

きつーい一言。

その人の1週間は日曜の夜出社して、平日は会社に泊まり土曜の朝に帰宅する。
だから、いつも会社にいた。

当時の私には、そんな日々が本当に辛かった......。


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